ゆーきママの子育て日記

第一幕   第二幕   第三幕  第四幕  第五幕  第六幕

人生でもっとも辛かった日々

ゆーきが又々肺炎で入院した。というのも今年流行のインフルエンザがもとである。今ちまたに流行っているインフルエンザは、やっかいであると耳にしてはいたがここまで体力の弱いものにとって強力であるとは知らなかった。

ゆーきは1月11日から発熱しはじめ日を追うごとに症状は悪化し、13日には咳き込む度に鼻血を大量に出し、又飲み込んだ血を口からも吐き水分すら受けつけなくなってしまった。熱は39℃後半からいっこうに下がらず13日一晩苦しんだ末、14日肺炎で入院。点滴を受けたが状態は更に悪化し、15日には血液製剤グロブリンを接種する程重症化してしまった。それから少しづつ回復に到ったが入院5日間は水分すらとろうとせず、ずっと寝たきりの日を過ごした。

前回の肺炎の時は普通のカゼと変わらぬ程元気であったし、実際子供がこれほどまでにぐったりと寝たままの状態であるのを初めて目のあたりにした。1才のころゆーきはひきつけをおこして入院した事もあったが、その時は薬のせいで2日間眠っていたほかは元気であった。でも今回は自分の力で体を起こす事もできず、苦しくて眠ることもできない状態で約1週間過ごしたのである。ゆーきと代われるものなら代わってやりたいと切に思った。

例のごとく私のそばにいないとハンガーストライキをおこすみゆうと3人仲良く入院生活を2週間ほど過ごしたが、その間みゆうもしっかり40℃の熱を出し座薬を入れても全く下がらなかった為2本の注射をおしりに打たれ大暴れしていたが、39℃台でも彼女はいつものように飛び跳ねて遊んでいた。でもそんな彼女の元気な姿が不安で仕方がなかった私の心をなぐさめてくれた。ゆーき、元気になってくれてありがとう。みゆう、無邪気な姿で私をなぐさめてくれてありがとう。

似たもの同士

私は頑固である。そしてその娘みゆうもかなりの頑固者である。1才9ヶ月になった頃から更に自分を主張するようになった。これも成長の証と喜ぶ反面、ただ事ならぬ戦いが毎日くりひろげられている。 まず朝起きてからのおむつ交換、忙しいからとサッサと換えてしまうと寝返りの技とそり返りの技で抵抗し、通常の3倍時間がかかる。どうやらおむつをあてがわれているという彼女のプライドが許さないらしい。そこで交換したいときはとりあえずトイレに誘い一通りの事をいたした後でおむつをあてがうとすんなりといく。

次に着替えだ。彼女の好みは赤やピンクの洋服なのだが、彼女には似合わないのと私の好みから渋い服しかない。となると大暴れするみゆうを押さえつけながら…というのは言うまでもない。

外出先でも彼女の行きたい方向と私の目当ての方向が違う時などは通行人が行き交う中で「あっち!」というみゆうと「こっち!」と言い張る私。「あっち!」「こっち!」「あっち!」「こっちったらこっち!」と延々言い合いが続くのである。最終的にはどうなるか…。勿論「あっちー!あっちー!イヤーあっちー!」と泣き暴れるみゆうを抱えてとっとと行きたい方向に行く、実力行使しかない。そんな彼女ではあるが母として”やるな!こいつ”と認めていることもある。それは誰も教えないのに1才7ヶ月の頃からお箸で上手にごはんを食べるようになった事。そして1才10ヶ月になった近頃では逆さに持った本でも必ずひっくり返して見るという事。1才10ヶ月のみゆう。当たり前だが一人の人間である。

ゆーきママの子育て日記

「いやだ!ゆーちゃんいやだ!」突然彼は大粒の涙をボロボロ流しながら泣いた。というのも店先での会話で、国道拡幅の為、家を何年後かには壊さなくてならないというのを聞いてのことだった。自分にとって住み心地のいい家がなくなるのかもしれない不安と、道路や向かい側の商店街の工事でブルトーザーや大きな車を目のあたりにしなければならない不安(彼はショベルカー等が恐いのだ)が入り交じり泣けたのであろう。実際彼の言うとおり子供にとっては自分の大切なものがなくなるにすぎないのだ。

単純に道幅を広げる イコール 街の活性化に結びつくかと言えば答えは"NO"であると思う。車を駐車しやすくなったところで街や商店そのものに魅力がなければ集客にはつながらないからだ。この計画の為に町内から数々の家や機関がなくなっていく。町全体でも子供を生み育てる若夫婦が城端を去り友達の数がどんどん少なくなっている。町を近代化する事の意味がどこにあるのであろうか?外見ばかりとりつくろったところで住民にとって本当に住みよい街になるわけがない。実際街の中には幼子を連れた親子が自然と足を向け、子供をのびのびと遊ばせたり、親同士が情報を交換しながらゆったりと過ごせる交流の場というものが全くない。子供達が大きく例えば勉学や就職のため町外へ行ったとしても自分の生まれ住んだ町に誇りを持ち、帰郷したくなるような町づくりを目指さなければしけないのでは…と一人の母として思うのだ。

ちょっとだけおねえさん

 先日、小用で昼食をはさみ、実家の母を巻き添えにして、みゆう&かいりの4人で高岡方面へ出掛けた。結構まとまった雨が降っていた為、昼食後、私が店の玄関に車を横付けにしている間、母は少しでも子供達が濡れないようにとの配慮で、かごの中で眠っているかいりを店内に残し、先にみゆうを車に連れていこうと外へ出たとたん、みゆうは大声で「まめー!まめー!!(ダメー!の意)かいり、かいり!」と泣き叫んだ。彼女はかいりがおいて行かれると思い慌てたらしい。かいりが我が家の一員となってまだ間もないのに、みゆうの中にはしっかりとかいりの存在が根付いているのを知り、私は涙が出るほど嬉しかった。2才になったばかりの彼女にとってかいりを疎ましいと思っても仕方がない年令なのに、すんなりと弟を受け入れたようである。

みゆうは我が家にとって唯一の女の子であるはずだが近頃女の子らしい物よりもゆーきと一緒になってウルトラマンだの○○レンジャー、さらに極めつけはTアブフレックスUのCMで体を鍛えている筋肉モリモリのお兄さん・お姉さんに興味を示す。「うちは三人兄弟です。」と言った方が正しいかも知れない。この先彼女がどう成長していくのか?考えたくない母であった。

みゆうさんが行く

久々にみゆう&かいりを連れて富山方面へ出かけた。たまたま西武の商品券をいただいたので子供服でも、と思いあれこれ見ていた。初めて授かった子供が男の子だからなのか、私の好みからなのか、男の子の洋服はとても選びやすく楽しいのだが女の子の服選びは苦手でなかなか決められない。その日も悩みながらもようやっと一着手に取り、みゆうに見せると…「そんなん、うちにもあるわい」と言われてしまった。すごすごと商品を棚に返しに行く私。女の子ってシビアだわ。

そして別の店内のソファではダンナ様は深々と座り私の買い物が終わるのをみゆうと待っていた。フッと目を閉じた瞬間「こんなところで寝とる場合かー!!」という声が店内に大反響した。「とても楽しいご家族ですね」と大変上品な店員さんはフォローして下さったがすご〜く恥ずかしい母であった。

それはさておき近頃の私はゆーきに助けられてばかりいる。みゆうにごはんを食べさせてくれたり、靴をはかせ、店先で一緒に遊んでくれたり、「おかたずけしなさ〜い!!」という母の怒りに「さっ、みゆう一緒に片づけようよ。ねっ、頑張ろう」と優しくみゆうの肩を抱き、率先しておもちゃを片づけてくれたりと、母は涙が出るほどである。「いつも怒ってばかりでごめんね。でもあたやんの前ではおりこうさんになろうと頑張らなくていいんだよ」と抱きしめてやりたい程彼を愛しく思うのである。

by ゆ&み&かのママ

第一幕   第二幕   第三幕  第四幕  第五幕  第六幕