慶安二年(1649)頃から、綿花を手紡ぎして自家用の木綿織物を作っていた。 織物業が始まったのは寛政年間(1789〜1800)で手縞屋源四郎が加賀藩から布を織るよう命じられたことに由来するという。
その後、文政三年(1820)に美濃国(岐阜県)から岡崎新左衛門らの職人を招いて、棧留縞の一種「菅大臣縞」を織り始めた。 こうした縞物を「手縞」と称したのである。
それ以降、加賀藩の奨励で生産は増加し、文政年間(1818〜1830)には居坐機から高機にかわっている。
さらに明治以降は輸入物の細い紡績糸を用いたことから各地で需要が高まり、明治末期には賃機が九百軒にものぼったという。 また明治中期からは福野絣も織られ、大正期には非常に栄えたが、太平洋戦争後は次第に衰退した。
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