城端の小路(じょうはなのしょうじ)

四軒町(しけんちょう)

東上地内の小路。

愛宕社から宗林寺へ抜ける道です。

 

所在地

 R304「善徳寺前交差点」を東に50m

「東上町山蔵」前と「宗林寺」間

総延長

 101歩

特色

●L字形に曲がっている

●高低差があるし、とても入り組んでいる

 

宗林寺の垣根前から入ります

T字路になっていて、右は現在行き止まり。

←宗林寺町通り

左が四軒町の入口です(上の写真)

右は浄土真宗の寺院「宗林寺」

正面は醤油蔵のある坡場(はば)の坂へと繋がります。旧五箇山街道もこの道です。

宗林寺の門です→

文禄四年(1595)井波瑞泉寺第八世住職准秀によって建立されたということです。

敷地内には川島織物の創業主;川島甚兵衛の墓があります。

中心付近。左が宗林寺方向。正面が愛宕社方向。

このあたりは昔は米蔵があって、池川の船着き場へ米を降ろしていました。

←トタンで覆われた蔵。

 蔵の入り口は?なんと角切りしてあります↓

←いまは使われていない工場。右側は畑になっています。

 この先は崖になっていて、城端の東側を流れる池川にいきつきます。池川の水源は、龍神の住むといわれる「縄ヶ池」です。

 写真をクリックしてみてください

左上は、畔田接骨院から入る小路。

↑上は逆から見た写真です。

←愛宕社前から入る小路。右へ曲がると上の写真に出ます。実は左へも曲がれます。

←左上の写真の位置で後を振り返ると…。東上町の山蔵と愛宕社が見えます。曳山祭りの鶴舞山が入っています。

愛宕社は道路の拡幅にともなって、四軒町側から山蔵横に移動しました。↓

 

 小路ではありますが、奥に人家があり人が住んでおられます。

 四軒町付近は昔、城端城主荒木大膳の末裔、豪商紺屋文左衛門の米蔵があったところで城端の歴史を調べるうえで大事なポイントだと考えています。


ところどころクリックできる個所があります。探してみてください。

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『城端の小路』 制作;きよべ呉服店
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