納棺時、母にきれいに死化粧をほどこしてもらいました、黄疸がでているのが不憫だったからです。 生前の姿が蘇り静かに眠るかのようです。 祖母と同じく花祭壇をお願いしました。 母らしさが出ていると思います(写真をクリックすると拡大)。
通夜の最後に喪主として挨拶しました。 〈前略〉 母は昨年、軽い脳梗塞を発症し、言葉に多少の不自由は残りましたが、自力で歩け、普段どおりの生活をしていました。 しかし、全身がむくみ、肺にも水がたまり、呼吸が苦しくあえぐことがあり、腎臓機能が低下してきました。 利尿剤と他の薬とのバランスをとりながら、生きてきた状態です。 肺とお腹の水がどうしても抜けないので、検査したところ、末期ガンと診断されましたが、本人には病名は伏せて、家族から医師に、痛みを和らげる治療をお願いしました。 自宅で生活していましが、黄疸がひどく、疲れて歩けなくなり、食事もほとんどとれなくなったので、6月30日に入院することになりました。 当初は会話もできていたのですが、次第に衰弱し、意識も混濁し始めました。 本人は自宅に帰ることを望んでいましたが、それもかなわず、13日夜9時 家族や孫に囲まれて静かに息をひきとりました。 2歳で父が戦死し、40で夫を亡くし、肝臓の難病となり、晩年は次々と病気を併発し、それでも、呉服業を営みながら、我々3人の息子を育ててくれました。 母親代わりとして孫の世話もよくしてくれました。 多くの友人にも恵まれ、常に談笑の絶えない店でした。 亡くなる数日前に精一杯かぞく一人ひとりにメッセージを贈り「しあわせやった」と言ってくれました。 呼吸ができなくなった最期は声が出ないなか「ありがとう」と口を動かしました。 皆様方には 生前故人が本当にお世話になりました。 ありがとうございます。 今後も残された我々に 故人同様の お付き合いを賜りますようお願いいたします。 〈後略〉
弟たちと語り合いながら一夜を過ごします。 きょうは絽の紋付羽織に紺絽の半襦袢、緑絽角帯に鉄色竪絽の袴、白足袋に草履です。 (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
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2022年7月15日(金)
No.6988
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