「美しい装いきよべ」店長のきもの日記 過去ログ2005年7月

県体水泳
 中学一年の長男が水泳で県体に初出場しました。 高速使って、高岡短大前の県営プールまで 忘れ物を届けに…もとい応援に行ってきました。 順位はよくありませんが、自己ベストを5秒も縮めたので本人はじめ親も満足です。
 初めて「大会」なるものを目の当たりにしましたが、小学生から40歳以上の部まで様々なクラスがあるのですね。 水泳に賑やかな応援があるのを知りました。 なんかイッキ飲みのかけ声みたいだったけど…。
 審判団をはじめ沢山のスタッフがお世話くださっています。 本当に感謝です。
2005年7月31日(日)  No.726

赤いバッタ
 店の近くで赤いバッタを見つけました。 黄緑色身体の上部が紅くなってます。 こんな種類のバッタがいるのかなぁ…。 それとも保護色??←だとしたらヘタ過ぎ。
 ところで今年はセミが少なくないですか? 毎年この時期はうるさいほど鳴いてるハズなのに…。
 7年に一度のハズレ年なのか…それとも?? 些細なことかもしれませんが心配になります。 この夏はふだん町中で見かけないカゲロウが多いし、昨秋は赤トンボをほとんど見かけませんでした。 なにか変。
 きょうは片貝木綿に柿色の半衿、ギャルソンエプロンです。
     (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月30日(土)  No.725

殺虫剤より虫除けを
 絹を好んで食べる虫はあまり多くないのですが、シン虫(シミ虫)には注意が必要です。 特に店内は古い木材を多用しているのでネグラになる可能性もあります。 しかし市販の虫除け(本当は殺虫剤)はピレスロイド系なので使いたくありません。 そこで昔からあるクスノキの防虫効果を利用することにしました。 ちなみにクスノキは樟脳(ショウノウ)の原材料でもあります。
 仏像を彫ってる方から木っ端を譲り受け、店内のあちこちに隠します。 近くに寄るといい香りがしますよ。
 きょうは小千谷の麻きものに黒地にプリントした麻半衿、黒の絽袴です。
     (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月29日(金)  No.724

ご近所はペットブーム?
 ウチのお隣の電気屋さん、お向かいの薬屋さん洋食屋さんに続いて本屋さんも可愛い犬を飼うことになりました。 犬ブーム(?)です。
 我が家では動物を飼うことができないので、顔を見るのが楽しみです。 写真はジュニアちゃん♀、しっかり寛いでいってくれます。
 きょうは先日ベロを縫い付けた白茶の柳揚木綿単衣に縞の半衿、生成りの福光麻の角帯をへたれ結びにして…、役者気分です。
     (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月28日(木)  No.723

沈黙の春
 日本中アスベスト問題で大騒ぎになってますが、これは長い期間を経て顕在する新手の公害です。 使った当時は安全だと思われていた物質が、思わぬ影響を残すのです。
 「沈黙の春」レイチェル・カーソン著を読み終えました。 今から40年以上も前にこの本が書かれていたのが信じられないくらいです。 というか40年経った今でも、除草剤を始め生態系に与える影響を無視した薬品が大量に使用されていることのほうが信じられません。
 1950年代のアメリカでは殺虫剤、防除剤、除草剤を撒き散らしました。 広い国土のアメリカで規定値以下の薬品です。 しかし食物連鎖で高濃度化し、魚類、鳥類が死に絶えます。 さらに地中深く浸透した安全なはずの薬品は化学反応をおこしたり、数十年後に下流にしみ出したりして生物を死滅させます。 まさに毒の雨だったわけです。
 蓄積した化学物質は生殖機能を破壊し、産卵しても孵化せず沈黙の春をむかえる…という恐い話(実話)です。 狭い日本ではどうでしょうか?
 ひょっとして人類が滅亡するのは核戦争ではないかもしれません、もし30年間子どもがひとりも産まれなかったら…と考えるとゾッとしませんか?
 きょうはグレーのサマーウールに青鈍の半衿、薄緑の袴。 どうしたんでしょうか?気温が上がりません。 この格好だと寒いくらいです。
2005年7月27日(水)  No.722

きもののタグ
 きものにタグ?なんのことだかわかりますか? 僕は普段着物はだまし半衿で済ませています。 襦袢を着ずに、特殊な方法できものに直接半衿をつけてるんです。
 揚柳木綿の単衣着物が仕立て上がりました。 衿付に共生地でタグを付けてもらってます。 タグの裏に自分でマジックテープをチクチク縫い付けます。 これで準備OK!新しい着物をおろすのが楽しみです。
 きょうは久留米絣にロング前掛けの軽装です。
     (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月26日(火)  No.721

心地よい休日
 毎月25日は蓮如上人のご命日です。 虫干法会期間中の今日(7/25)は遠くからバスでお越しになる団体もあり、本堂はかなりの人出です(写真)。 午後の部に参加しました。
 法話の後、蓮如上人の絵解き、木像の開帳→親鸞聖人の木像開帳→善徳寺開基の本尊開帳→聖徳太子二歳の御木像開帳…と場所を移動しながらお坊さんのお話を聞きます。
 この場にいると、時間が止まったような気がします。 何をするでもない、心地よい空間でゆったりと話しを聞かせていただくありがたさを感じました。
 夕方は「尺八演奏の夕べ」 尺八は三清の寺のご住職、安居 登さんと三絃(三味線)今井幹子先生のセッション(?)です。 想いのこもった「残月」は素晴らしい出来でした。
2005年7月25日(月)  No.720

東西砺波盤持大会
 きょうは日曜日、虫干法会期間中(722〜28)で一番行事が多い日です。 虫干法会にお越しになる方はご高齢の方が多く「土曜日曜関係ないんじゃないか?」と思っていたんですが、実際は『家族に送ってもらわんなんがで』土日じゃないと都合が悪いのだそうです。 公共交通機関(バス等)の便が悪いせいで、お気の毒になりました。
 昨年大好評だったちびっ子盤持大会は東西砺波盤持大会と同じ日に開催することになりました。 商工会青年部員も協力だけではなく出場もしています(写真)。 といっても120kgの米俵が簡単に持ち上がるはずも無く、数人がかりで支えてました。
 実は過去に僕も一度だけ出たことがあります。 予選の俵(75kg)はなんとか上がりましたが、120キロはピクリともしませんでした。 力自慢の方は是非どうぞ。
 この他にも盤持甚句、いのくち椿どん一座披露、北野式年太鼓保存会の蓮如太鼓、大谷婦人会のお茶会などがあり、終日賑わいました。
 きょうは麻のきものに薄手木綿の袴。 天気はいいけど涼しくてすごしやすい一日です。
     (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月24日(日)  No.719

蓮如餅
 真宗大谷派 城端別院善徳寺の年二回の大イベント虫干法会が始まりました(ちなみにあと一つの大イベントは報恩講です)。 城端では老若男女が様々な形で虫干法会に関わっています。 ことし商工会女性部は新たに「蓮如餅」を企画しました。 善徳寺開基 蓮如上人にちなんだ名前です。
 自分たちで作ったわらび餅にきな粉をまぶし、黒蜜をかけて200円。 24日(日)だけの限定販売です。 美味しそうでしょ? 試行錯誤の試作品はた〜っぷりいただきました。
 きょうは片貝木綿に焦茶の半衿、ギャルソンエプロン姿です。
     (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月23日(土)  No.718

漆の盤
 呉羽在住の瀬尾 新(せおはじめ)さんが、以前から頼んでおいた飾り盤を仕上げて持って来てくださいました。 楠を手彫りし、生うるしで下塗りし、何層も黒漆をかけ、最後に朱漆で仕上げたものです。 工程を分割する方もおられますが、瀬尾さんは全てご自分でお作りになってます。 責任の所在が曖昧なものはイヤなのだそうです。 職人気質の方ですね。 僕も作り手の顔の見えないものは好みません。
 漆の知識がほとんどないので、瀬尾さんのお話を興味津々で聞かせていただきました。 漆屋には生うるしと黒漆しか売ってないので、他の色は自分で顔料を交ぜて調合すること。 同じ顔料でも産地によって色が違うこと。 漆は皮膜が薄い程堅いので、何層も重ね塗りして堅牢な表皮をつくること…etc.
 近いうちに店頭のディスプレイに使いますのでご期待ください。
 きょうは緑のコサシルクに緑の半衿、絽の緑の角帯に薄手木綿の袴です。
2005年7月22日(金)  No.717

地域の危険箇所調査
 きょうから夏休み。 ラジオ体操終了後、子どもと大人が一緒に、近所の危険箇所を見て回ります。
 西上では、見通しの悪い交差点、別院裏の崖、冬場の流雪溝などを子どもたちに注意しました。 城端小学校の先生方も早朝から2日間に渡ってくまなく調査しています。
 今回の調査は夏休み前の子どもたちに「いつもの道にも危険な場所があるんだ」ということを知らせる為に開催しました。 日を改めて、PTA&学校&母親クラブ&子どもたちで危険箇所をチェックして回ります。 なんどチェックしても、しすぎということはありませんから…。
 きょうは二部式きもの福光麻の半衿、紬地シケ引きのヘコ帯をしっかり結んで草木染め木綿の袴。 涼しい〜。
     (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月21日(木)  No.716

むぎやのチラシ
 歴史を重ね55回目となる城端むぎや祭。 今年は9月17(土)・18(日)の両日におこなわれます。 南砺市となって初めてのむぎやなので、なにが変るのだろう?とワクワクしていたら、チラシとポスターが変りました(写真)。
 どこかで見たことあると思ったら県内在住の切り絵作家 岩田長峯さんの作品です。 むぎや祭も八尾のおわらのように全国規模の祭になるのでしょうか?
 きょうは縞の伊勢木綿に焦茶の半衿、和柄のギャルソンエプロンです。
     (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月20日(水)  No.715

骨髄バンク
 この9月から骨髄バンクのドナーの上限が55歳までになります。 以前は50歳で登録抹消されてました。 さらに登録手続きが簡素化されました。 この機会に是非どうぞ。
 我が家は夫婦で登録しています。 僕の骨髄を必要としている患者さんはまだいらっしゃいませんが、いつかお役に立てる日まで健康であらねば…と思ってます。
 きょうはグレーのサマーウールに青みのある半衿、青の麻の袴です。
骨髄移植推進財団http://www.jmdp.or.jp/
    (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月19日(火)  No.714

LaQ相撲
 店も学校も休みですが、人ごみを避けて家にいます。 以前購入したLaQというブロックで遊ぶことにしました。
 このLaQは各自のアイディアでいろんな形が作れるので、大人でもハマります。 今回は土台の基本形だけ揃えて、上半身を各自が工夫する『LaQ相撲』を考案して遊びました(写真をクリックすると拡大します)。
 小さな土俵(紙箱)をトントン叩いてワイワイガヤガヤ、子どもと一緒に遊ぶのって楽しいです。
    (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月18日(月)  No.713

千羽鶴に願いをこめて
 広島・長崎に原爆が投下されて60年が経ちます。 被爆された方がヒロシマの大会に出席なさるので千羽鶴を託すことになり、微力ながら我が家も協力させていただくことにしました。
 60年というと遠い昔のようですが、決してそんなことはありません。 戦前戦後ですべての価値観が変わってしまった世代、戦争で片親を亡くし高度成長にがむしゃらに働いて子育てを怠ってしまったその下の世代、そしてさらに下の世代の我々は物を与えられることが愛情であるかのように育ってしまいました。 現代の信じられないような児童虐待を突き詰めて考えてみると、おおもとの原因は戦争にある気がしています。
 60年経って、今がまさに戦争前なのではないかと危惧しています。 子どもたちは半ば強制的に国を愛せ国を守れと教えられ、個よりも全体のことを考えろと言われます。 メディアはヒステリックに大勢に流された報道を続けます。 どんどん成立する怪しげな法律は、自分の頭で考える人々の(たぶん最後に残された)連携手段であるインターネット通信の自由さえ奪おうとしています。
 声なき声を拾えない政治家が多い中で、大多数の平和を望む人たちはどうやって想いを伝えたらいいのでしょうか?
 きょうは紺のコサシルクに縞の半衿、ロング前掛けです。
2005年7月17日(日)  No.712

中村魁春襲名披露
 ず〜っと楽しみにしていた松竹大歌舞伎二代目中村魁春襲名披露を観ました。 会場は昨年同様、新湊市中央文化会館です。
 松江を改名した魁春(かいしゅん)という名は、養父六代目中村歌右衛門さんの俳名だそうです。 脇を固めるのは実兄の梅玉さんに、吉右衛門さん、芝雀さんなど…。
 演目は吉野山(義経千本桜)、口上、与話情浮名横櫛(木更津海岸見染めの場、源氏店の場)の3本です。
 舞踊の吉野山は、ただひたすらに美しく、歌舞伎の美的感覚に惚れ直しました。
 口上は…う〜んそうですねぇ、初めて襲名披露したのが3年前ですから…さすがにいまさらの感はあります。
 与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)は、僕の好きな世話物です。 ハラハラしながら最後まで観てようやく春日八郎の「お富さん」がこの歌舞伎のことを唄っていたことに気がつきました…ニブすぎ(笑)
 写真は歌舞伎寿司。 魚の美味しい新湊の寿司屋さんたちが共同で握った寿司弁当です。 大満足の1100円。 一応予約したのですが、予約無しでも買えるようです。
 きょうは小千谷麻に綿紬の半衿、新しく作った薄手木綿の夏袴、薄色の足袋です。 会場にはきもの姿の御婦人方が彩りを添えてました。
    (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月16日(土)  No.711

城小PTAの宝
 7月2日に開催したものの混乱のなかで連絡もままならず、改めてすべての会員に連絡し再開することにした小学校PTA全体会を開催しました。 事前に会員から戴いたご質問&ご意見は会員数の77%にも及ぶ230通(写真)。 A4用紙にびっしり書き込んであります。
 これだけ多くの方々が、子どもたちや学校のことを心配してくださってるのだと思うと頭が下がります。 読むだけで目頭が熱くなるありがたい提言やお言葉もいただきました。 これらすべてが城端小学校PTAの宝だと思っています。
 7時半に始まった全体会が終了したのは夜10時を回っていました。 ご夫婦で参加された方も多く、総数300人超! 事故を認識し二度とこのような悲劇を起こさないための会であることをご理解いただけたのか、長時間にわたり静かに聞き入ってくださいました。 
 みなさんありがとうございます。 これからの城端小学校は悲しい事故が起きる前より、さらにいい学校になると確信しています。
 きょうは辛子のコサシルクに緑の絽角帯、薄緑の木綿袴です。
2005年7月15日(金)  No.710

城端のンまいもん! その3
 前回はカレーパンでした。 今回はかなりメジャーにイワキさんのシュークリームです。 他では味わえない独特のクリームがたっぷり入っています。 こってりしているけど、後味あっさりなので2つ続けて食べられます。 まとめ買いする人も多いです。
 ふたたび「季刊Ki-mono」の取材を受けました。 僕らにしたら当たり前のことをお話ししただけですので、記事になるかは疑問です。 もし掲載されたら報告します。 
    (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月14日(木)  No.709

北野小学校校歌
 現在の城端小学校は旧城端町のいくつかの小学校が統合されて建てられました。 それまで各村に小学校があったわけです。
 北野小学校の校歌を発見(?)したのでアップします。 懐かしい方もおられるでしょう。 どんな歌だったのか一度聞いてみたいです。

一、山も流れも美しく 梅の香におう南砺の北野
  ここに育った なかよしわれら
  直く気高くほがらかに 平和な郷土を建てるのだ
  みんないい子 北野の子供

二、おのがむきむき咲き香る 桜丘の学びの園生
  ここにいそしむ なかよしわれら
  強くやさしくむつまじく 文化日本を築くのだ
  みんないい子 北野の子供

(昭和23年制定/相馬御風 校閲/西部鴨壮 作詞/荒木得三 作曲)
2005年7月13日(水)  No.708

Dreams Come True
 バレエを続けてる娘の憧れは英国ロイヤルバレエ団のプリンシパル吉田 都さんです。 一度でいいからこの目で見てみたいね、と言っていたら6年ぶりに日本公演がありました。 チケットを買うのも困難なのですが、運良く電話がつながりました。 学校を休ませて東京まで…。 生で見た憧れの舞台は一生忘れないことでしょう。
 不思議なことに、偶然吉田 都さんのサイン(写真)をもらうことができたんです。 娘は握手して頭を撫でてもらったのですが「緊張して覚えていない」とか。
 願いはきっとかなうんです。
    (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月12日(火)  No.707

城端地区の子ども連絡協議会(仮)発足
 南砺市と合併したことで旧来あった城端町PTA連絡協議会は解消しました。 しかし、小学校と中学校PTAだけではなく、もっと大きなくくりで子どもたちのことを考える仕組みが必要ではないかと言う案が出ていて、保育所母の会・母親クラブ・地区子ども会、それに子どもの為に積極的に活動してくださってるボランティア団体を集めて初めての会議をひらきました。
 当初は子どもの取り合いにならないよう行事日程を調整するぐらいに考えていたのですが、今はそんな悠長なことを言っていられません。 今回の事故のことについて相談しているうちに、保育所→小学校→中学校とエスカレータ式に上がっていく城端地区で、子どもが小さい時に受けた影響は後々まで残るであろうことに思い至りました。 6つの保育所が統合してひとつになったさくら保育園の諸問題にも話しが及び、様々な理由により管理色の強い保育がなされているのではないかと心配しています。
 新聞には連日、健康診断の処理ミスや大雨警報の伝達手段が無かったことなど、大南砺市となった弊害が載ってます。 「南砺市に合併してひとつもいいことないねぇ…」が最近の町民の口癖になってるかもしれません。
 しかしただひとつ良かったと思う点は「行政に頼らず住民が自発的に動き始めた…」というのは皮肉でしょうか。
 会場はさくら保育園横にあるふれあいハウス。(余談ですが、ふれあい…と名のつく施設は怪しげな補助金が出ているのだと独り合点しています) 横の温室(写真)も管理が行き届かずジャングル状態です。 う〜ん。
    (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月11日(月)  No.706

じょうはな線をたのしもう。
 RACDA高岡の方々と城端線を仲立ちとした情報交換会「じょうはな線をたのしもう」を開催しました。 発起人の一人ではあったのですが、ポスターを作った以外なんにもできず、商工会女性部と青年部、それと機の声じょうはなのみなさんにおすがりする格好になり申し訳なく思ってます。
 城端駅でRACDA高岡の十数人を御迎えした後、機の声じょうはなのガイドで市街を散策、その後互いに講師を出し合っての情報提供。 そしてメインは交流会…。 短い時間でしたが、密度の濃い交流ができたと思ってます。
 城端線の終列車で御見送りしましたが、みなさん名残惜しそうに手を振ってくださいました。 久しぶりに楽しい夜を過ごせました。 いつの日か高岡へ城端線に乗ってお邪魔する予定です。
    (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月10日(日)  No.705

「子どもはどこで犯罪にあっているか」
 この間から読んでいた本を紹介します。 「子どもはどこで犯罪にあっているか」中村 攻(おさむ)千葉大学教授著 城端図書館蔵書です、是非御一読をオススメします。
 子どもが犯罪に巻き込まれそうな場所ってあるそうなんです。 この本ではフィールドワークで得られた危険なポイントを丹念に検証しています。 ちゃんと学問になっているところが凄いですね。
 無計画な公園&宅地造成に警鐘を鳴らし、まちづくりとはこうあるべきだ(あってほしい)というところまで筆が及んだ良書です。 この本をパラパラと読むことで、危険箇所の察知能力がつきます。 …というのはなんとなく同じニオイがするからなんです。
 余談ですが、以前からサカキバラや長崎の小学6女児殺害事件はどこか似た風景だとTV画面から感じていました。 生活環境が人心を惑わすことってあるのかもしれません。
「人間を守るのは人間である」まさにその通りだと考えます。
2005年7月9日(土)  No.704

アゲハチョウ
  またもや学校の話しですみません。 毎朝校門で「おはようございます」と声を出していると、顔なじみもできてきます。 着物に袴穿きという珍しい服装なので覚え易いのでしょう。
 「清部さんもやってみられ、子どもたちも喜ぶと思うよ」すすめられ、おそるおそる手を差し出すと、低学年の子どもが元気にタッチしていってくれます。 親しくなれた気がして嬉しいものですね。
 教室で羽化したというアゲハ蝶を見せてくれました。 元気に羽ばたいてほしい。
2005年7月8日(金)  No.703

「星のかがやき〜ゆうやの笑顔活動〜」
 通夜の晩、元伏木高校校長だったという導師様(浄土真宗本願寺派)が「裕矢君は短い短い人生だったが星のように輝いていった」と語られたのが心に残りました。
 裕矢君が精一杯生きた人生を皆の記憶にとどめる為に、子どもを守る活動に裕矢君の名前をつけたいと考えています。 端的に言うと、子どもたちの登下校時間や遊んでる時間に、できる範囲で外で仕事(犬の散歩・水やり、草むしりetc.)をして見守って欲しいということです(腕章や揃いの制服のパトロール隊は城端にそぐわないと考えます)。
 この「見守る活動」の名前をず〜っと考えてきましたが、今ひとつしっくりくるものがありませんでした。 ところが妻と話していて突然「ゆうやの笑顔活動」が思い浮かびました。 さらに「星のかがやき」が閃きました。 ZARDの唄で「星のかがやきよ」という唄もあり、歌詞がピッタリハマるんです。 ご両親にも内諾をいただきました。
 変な話しですが、裕矢君に導かれてる気がします。
2005年7月7日(木)  No.702

蓮の帯留
 ここ数日の日記は悲しい事故のことばかりで、読んでくださる方にも辛い想いをさせてしまったようです。 ごめんなさい。
 久しぶりにきものの話題をば…。 妻がしている帯留は澤 幸美さんに彫っていただいたものです。 蓮の花が好きなのでオーダーしました。 店内には他の帯留もありますので、宜しければご覧下さい。
 3日の城端曳山祭振興会で祭礼日変更の動議が出されたようです(僕は欠席しています)。 日曜もしくは祝日開催にしたいそうです。 来年の5/15は平日になります。 週休二日制が定着し、逆に平日は休みにくくなってしまいました。 人足や若連中が足りないと祭ができません。 まだ決まった訳ではないようですが、大事な問題なので第一報を書きました。
    (ブルーの文字をクリックすると関連ページへリンクします)
2005年7月6日(水)  No.701

腑をえぐられる葬儀
 今朝も学校前で挨拶をしています。 子どもたちの様子はいつもと変わりなく、逆にこちらが元気をもらってる気がします。
 通学路のプランターがを歩道を狭めていたので、あまり邪魔にならぬように勝手に移動しました(写真)。 裕矢君の事故も誰かが気をつけていれば防げた事故だと思います。 気がついた大人が動けば危険は回避されるのです。
 正午より裕矢君の葬儀に参列。 昨夜は腸が捻れるような悲痛なお通夜でした。 昨夜泣き崩れていた担任教諭は責任感をもって、子ども達を指導しています。 立派だと感じました。 葬儀にしか参列してない人が「どれが引率者やわからん」と、暗にもっと泣いてみせろと言っていたのが嘆かわしいです。 どうして世間はわかってないのか? 「子ども達の前で謝れ」とまでいう部外者もいます。 教師と児童との信頼関係を無くしてしまったら、学校は崩壊します。
 喪主である父親が裕矢君への手紙を読みはじめると、いたるところにすすり泣く大人達、号泣する子どもたち…本当に辛い葬儀です。 しかし天国へ旅立つ裕矢君を見送る最高に立派な葬儀だったと感じています。
 きょうから気持ちを切り替えてがんばることができます。 帰ってから事故後初めて和服に着替えました。 片貝木綿に柿色の半衿、薄茶の腰板無し袴です。
2005年7月5日(火)  No.700

初登校
 明け方からドシャブリの雨。 5時半頃胸騒ぎがしてカッパを着用し通学路の水路を見回りました。 驚いたことに事故現場が冠水しています。 裕矢君が落ちたと思われる穴と、その一つ上の穴からどんどん水が溢れ出してます。 グレーチングを外して、問題の堰を抜こうとしましたが、流れが早く危険を感じます。 PTA役員を電話で呼んでいるうちに、水利委員が来て消防団を呼んでくれたのでしょうか、火カキ棒を使い2人がかりで鉄板を抜くことができました。 すると水位は三分の一に激減。 流れは速いものの、冠水の危険は無くなりました。 堰がそのまま放置されていたことにショックを受け、自分も含めて「大人の責任」について考えました。
 今朝から学校が再開されます。 低学年の子どもを持つ保護者は一緒に歩いて学校に向かう人もいます。 校門前にマスコミのカメラがいたので「何を撮ってるんだ!」と走りよると「足元だけ」と釈明されました。
 校門前に立ち「おはようございます」と挨拶を交わします。 初めての経験ですが、隣に2年も続けている先輩(元PTA会長)がおられるので心強いです。
 校舎内に入り、朝の会をそっと見て回ります。 ショックが大きかった引率教諭も一所懸命子どもたちに話してます。 「先生が元気じゃないと子どもたちも元気になれません」とお伝えしてあったので、教諭の心のうちを思うと胸が張り裂けそうでした。 低学年児童はまだ裕矢君の死を理解していないのかもしれません。 しかし、どの学年もほとんどの教師が涙ながらに語っていたのが印象的です。
 全校集会。 父兄は100人以上集まっています。 泣きながらの校長の話しの後、黙祷。 校長は父兄に「TVは足元しか撮ってない」と話します。 しかし昼のニュースで約束は破られ、学校の信用を無くすはめに。
 各教室で命の大切さを教える授業。 学校が要請したカウンセラーが一年教室に入ってます。 そう優先すべきは、裕矢君の救出 > 子どもたちのケア > 事実の解明 なのです。 今考えると、事故発生の翌日に、事故についての学校側の説明を求めることは無理だったと思ってます。
2005年7月4日(月)  No.699

学校対PTA?
 昨夜のPTA全体会で学校側の事故説明が不十分で、さらに冒頭に「マスコミを待たせているので…」という校長の発言が保護者の反発を買い、一部で声を荒げた方がおられました。
 一夜明けるとそれがどうしたことか、「学校とPTAが反目し合ってる」というわかりやすい図式になってます。 確かに学校に非の大半はありますが、責任を追及しただけでは痛ましい事故の再発は防げません。 PTAの運営委員会で今後どうあるべきかを3時間徹底的に議論しました。 学校だけに責任を押し付けるのではなく、危険箇所に気付かなかったPTA、さらに用水が噴出するのを知っていたのに対策を施さなかった管理者にも問題があるということを確認。 さらに進んで今後の城端地域のあるべき姿のイメージまでを共有できたところで作業に入ります。
 作業というのはPTA全保護者から今回の事故について質問や意見を求めるのです。 次回の全体会で学校に納得いく回答を求めます。 さらに運営委員会からのお願いとして「子どもの前で学校を批判すると、子どもが教師に対する不信感をつのらす可能性があるので、注意してほしい」と別記しました。
 午後5時半に学校玄関でPTA会長としてインタビューを受けます。 「教室で」と頼まれるが、裕矢君の顔写真や他の子どもの名前が映し出される可能性があるので断りました。 PTAは今後どのように対処するのかを報告。 また事故の再発防止に向けて地域全体での取り組みが必要であると訴えます。が、見事にカットされたようです。
 明日月曜日は事故後初めての登校日です。 子どもたちの様子を心配している保護者も多いと思われます。 校長が「全体集会には保護者もぜひどうぞ」とおっしゃったので、夜になって今後数日の予定表を配布することにしました。 時間がないので各地区の保護者の方にお願いして配っていただくことに決めます。 日曜夜の急なお願いにも関わらず、文句一つ言わず配ってくださいました。 城端はすばらしい地域だと感心するとともにワクワクもしました。
 写真(クリックすると拡大)は裕矢君が落ちたと思われる流雪溝です。 グレーチングは壊れて固定されていません。 常に高さ35センチの鉄板で堰止めされてました。 事故当日は激流が堰にあたって上部へ吹き上げたようです。 しかしながら、これまでグレーチングが動いたということは無かったようです。
2005年7月3日(日)  No.698

裕矢くん捜索
 朝5時半に小学校へ。 予報ははずれ雨は小降り、しかし山田川は増水しているので二次災害を危惧します。
 昨夜先生方が電話連絡した結果、突然かつ任意の要請にもかかわらず、6時の集合時間には予想だにしない大勢の大人が集まってくださいました。 夫婦で来てる人もいる、おじいちゃんもいる、小学校の先生はもちろん、中学校の先生やPTAなど、その数およそ250人超! 裕矢君を早期に発見できると確信しました。
 5人一組で班編制し、8つのマップにわけて山田川から小矢部川河口迄をしらみつぶしに捜索します。 林道部落の方々や、消防団、消防署もあわせると総勢400人くらいはいたのではないでしょうか? あれだけの大人数が6時過ぎには出動してしまいました。 みな裕矢君を助け出したくて気が急いてるのでしょう。
 現場に出て捜索したかったのですが、昨日指令系統が混乱したので学校ピロティに本部を設置し数人で残ることにします。 パネルに8枚の地図を張り出し班の位置確認および移動をお願いすることに。 さらに西新田駐車場の消防本部と連絡を取り合いながら「無事発見」の吉報を待ちます。
 非常に暑い日になり、現場は酷いという報告。 高い葦が茂り、足場は悪い、どこまでが地面かわからない。 みなさんが土手ではなく川縁を歩いていることに驚くと同時に、無事で帰ってくることを祈ります。
 …なにも見つからない。 出発して3時間経った頃から「他はどうか?」と電話がかかってきます。 皆アセっているのでしょう。 同じ所を念入りに何度も捜してくださいと頼むだけです。 しかし葦が茂っていて、川辺まで近づけない。 中州を捜索するため舟を要請しているが、浅瀬で入れないと…。
 時間が経つにつれ生存確率が下がっていきます、徒労に終わった午前の捜索を終え、帰って来た人たちは無言で炊き出しのおにぎりをほおばってます。 給食のおばさんたちの渾身の願いのこもった握り飯でした。
 午後1時より捜索再開、予想以上に人が来てくれました。 水かさが減るとともに危険も減ったので、帽子、棒、長靴は必須だと伝えてあります。 今度はマリンジェットやカヌー、笹舟など、考えうる手段を使って裕矢君を捜すことに。 小矢部川流域の方も捜索に協力してくださってます、ありがたい。
 総延長40キロにもなる小矢部川流域の右岸と左岸を捜索するとなると大変なことです。 気合い充分なんですが、なにも見つけられません。 しかしPTA会員が裕矢君の片靴を発見し俄然動きが活発になりました。 しかも防災ヘリが出動し、山田川から小矢部川まで捜索を開始します。 電話口からも必ずご両親の元に届けてあげたいという雰囲気が伝わってきます。
 しかしその後の発見は無く、すでに富山湾に流れてしまったのではないかと思い始めました。 もし湾に出ていたら寄り回り波の為、いつどこに流れ着くか予想もできません。 早ければ一週間後呉東の海岸に、遅ければ一ヶ月後能登半島に…。
 朝からすでに10時間経過し皆疲れているので、重苦しい雰囲気で6時帰着の電話連絡をしていたときです。 消防より「小矢部川中州にて裕矢君を消防署員が抱きかかえる」の一報。 残念ながら小さな命は潰えていました。 しかし発見を諦めかけていたので、その場に居合わせた者全員、悲しいやら安堵したやらで涙が止まりません。
 その後学校で見たTVで全国ニュースになっていることを知ります。
2005年7月2日(土)  No.697

高田裕矢君行方不明
 2時頃から1時間程豪雨でした。 店内にいた方に「雨宿りしてってください」と話していた時に事故は起きたのです。
 小学校長から電話があり「子どもが行方不明」。 車で学校へ向かうと警察や消防がいて騒然としています。が、何がおきたのかわかりません、情報が入らないのです。
 一年生の高田裕矢君が用水に落ちたかもしれない…。
 大雨の後で流雪用水は増水してところどころ溢れています。 しかしいつもはアルミの蓋が閉まっているはず、落ちるなんて考えられない…。 間違いであって欲しいと捜索を続けていると、用水の途中で裕矢君の運動ズボンが発見されました。
 複雑に入り組んだ用水の蓋を全て開け、裕矢君を捜しますが見つけられません。 合流先の山田川は増水していて大人でも吸い込まれそうです。
 夜7時半にいったん捜索を中止し、PTA全員に声をかけた翌日の大捜索の段取りをします。
 悪夢であって欲しい…、疲れと緊張で眠れぬ夜を過ごします。
2005年7月1日(金)  No.696

▲先月の日記へ ▲店長のきもの日記へ ▲過去ログへ ▲翌月の日記へ

「きもの日記」に戻る